“生きるとは「なしくずしの死」(セリーヌ、阿部薫)に他ならない。洗濯板で服をゴシゴシ洗ったり、薪の火で米を炊き、風呂を沸かすのは、日々、少しずつ命を削る行為であり、だからこそ「生活」ではなく、「暮し」という言葉の方が似つかわしい。けれども、家電による生活利便性の追求は、衣食住の根底にある、身を削り生を開き、少しずつ死に近づくという前提を省いてしまう”
椹木野衣「たたかえ暮しの"手"帖」,『花森安治---美しい「暮し」の創始者 』,文藝別冊/KAWADE夢ムック, 2011.12.15発行, 109P.
人間は、誰もが日々一歩ずつ死に近づいているという事実、あるいは誰もが次の瞬間の死の可能性を常に隣に同伴させている事実を前に、そこから抗う=生きる術を模索し続けた結果、ついにこの衣食住が苦労なく保障された「生活」を獲得するに至りました。
しかし一方で「暮らし」、すなわち自らの手を動かし、汗をかき、自然に直に触れ、命を削る=暮れゆくことを通じて、我々の日々を包む衣服や食事に特別な美が付与されることも、現代社会において決して忘れられた観点ではありません。
むしろ近代以降、「生活」が死の危険を遠ざけた中でこそ、「暮らし」を携えた美は、それ以前とは異なる価値を持ってきたとも言えます。
今日まで多くの先人たちが「暮らし」の力を源泉として、思考し、その少なからぬ人生を捧げ、様々な美の形を提示してきました。今回は「絵」という領域から、その先人のトライアルを継承し、自らを研ぎ澄ませる現代作家を紹介します。
日々を見つめ、実直に手を動かし、描写すること。やり直しのない画材を前に、対話すること。彼らの表現から、人間の本来的な姿に根を張る創造美と、その先端を探ります。
(企画:綱田康平 / gallery TOWED)