KOHEI SAITO SOLO EXHIBITION 「Cord marked pottery "Night"」
縄文土器とは最初から縄文土器ではなかった。
それは何物でもなかった。
《Cord marked pottery》とは縄文土器が縄文と呼ばれる以前の名称だ。これには外国人学者の名付け親がおり、総称を含む扱いやすさからそう呼ばれていた。さらにそこへ“縄文”という意味を日本人が与え、現在に至る。そんなことをつい最近知った。
昔、畑に落ちていた土器の破片を見てはその不完全な形態に得も言われぬ感覚を抱いていた。地元の公民館や博物館で見る完全体の土器とは違い、こちらへ切迫してくる感じがある。もちろんその小さな破片になってしまった以上、本来の用途は失われている。それは道具としての“意味”を持つことをも拒んでいるかのようで、不恰好な感触が良かった。もっと言えば何者かの気配、呼吸の痕跡もあった。
私はよく“ズレ”を認識しようとする癖がある。例えば古い映画の役者の立ち振る舞いや表情、一挙手一投足、現代とのノリの差。最近は映画に限らず無作為に範囲が広くなっている。ネットで見つけた適当な画像に物語をこしらえ、自分の中で都合のいい文脈をでっちあげる。何というか、検証に近い。同じ画像でも昨日と今日の“検証の結果”が違うこともある。そんなことをしつこくしつつ、自分の認識の歪みや意識の行方をその画像に見届ける。そのズレへ誘われることによって、妙に心地よさを感じている。
いつか夜について考えた時、与えることも奪うことも同じ意味を持つことに気がついた。キッチンの植物も、眠りながらにその小さな鉢でさらに巨大になろうとしている。その証拠に葉の枚数、多肉の面積、幹の太さが誇らしい。では私自身はどうだろうか。成長という意味では肉体の成形はすでに終えている。だがしかし2020年夏頃から頭蓋骨が変形し硬くなっている気がした。それは指先で顔を触れているから直感でわかる。こめかみの凹み。まるで石のような硬さ。叩くと嫌な音もする。
それでも夜について想像することは、春の始まりのようでとてもいい。
●期間
2021年11月12日(金)〜11月27日(土) 
13:00-20:00 
※会期中、金・土・日・祝日のみ営業
※入口に消毒液を設置しております。ご来場の際はマスク着用の上お越し下さいますようお願い致します。
入場時に体温測定を受けて頂きます。37.5℃以上の場合は入場をお断りしております。ご了承下さい。
また、都内の状況により開催期間・日時に変更が生じる場合がございます。


●作家​​​​​​​
・齋藤 康平 / Kohei Saito
1991年 福島県二本松市生まれ
2016年 東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻 卒業
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